そして今日も馬券を買うのだ

馬とゲームが好きな人の日常

哲学った

夏の始まりくらいのときから、
多分WCSが近かったからなんだけど周りの人達が互いに切磋琢磨ってて
夏休みもあって色んなところに色んな人がお出かけし始めてるの見て
「うわぁ~~~いいなぁ~~~~」
って気持ちになっちゃってたんですよ。

「みんな仲良しの人が近くにいるのいいなぁ」
って思っちゃったの。
私の仲良しな友だちは千葉県と岐阜県に住んでて、
都内にはポケモン通して知り合った人しかいません。

仲良しの友だちが近くにいればもっと気軽に会えて、毎日もっと楽しくなるのになーって思ってしまってたの。

だから前ブログにも「女ポケ勢の気軽に遊べる友だちがほしい」って書いたことがあって(人にも相談した)、
でもこういう気持ちの状態すごく嫌いなんですよ。タラレバを求めちゃうのは。
こういう気持ちのときって何かと人と自分を比べて劣等感を感じてしまうんです。
自分には人から求められるようなものは何もないと思っているから。
人と比べるのは無意味だし良いこと何もないから普段から意識してしないようにしてるけど、たまーに落ち込むときがある。

社会人になってからは
人と程よく距離感保って揉めないように生きて別に人間関係で特に困った経験はない。
でも、学生の時みたいなめちゃくちゃ楽しい環境を築けているわけでもないなって。
「引き際がうまい」って人に言われたことがあるけど、考えながら立ち回ってる自分がしょうもないなぁと。

こんな感じの気持ちを数ヶ月ほんのり抱えていたんですが、どうでも良くなりました。

考えてるから落ち込むだけなので、考えなきゃいいんだと。
今自分が落ち込む原因になってることを片っ端からやめれば良いだけです。
こんなん悩み始めたときから答えはわかってることだけど、いざ切り替えるまでには自分の中でタイミングがあり。

ケロッとなれたのはつい昨日です。
自分が悶々とするきっかけにもなったWCSを見て、今度は完全に立ち直りました。

ここにいる人達はきっと、ものすごく夢中になってポケモンに取り組んできたと思うんです。
夢中になって取り組んでいるうちに、周りに環境ができていって、切磋琢磨れるようになったんだなって。
そんで夢を叶えていっているんだなと。

多分、求めているばかりの人間の場所には自分が望むものはなにもついてこないんだと思います。
環境を作ってから何かをやるんじゃなくて、何かやってるうちに環境が生まれるんだと気づきました。

私はなんとなく「近くに気軽に遊べる友だちいればな~」なんて思ってたけど、
そんなんだから人とせっかく話す機会があっても「この人と気ぃあうかな?相手はどんな気持ちなんだろうか?」って無意識に探り探りになっちゃって、
変に緊張してしまうことばかりでした。その心持ちじゃ何事もうまくいかないですよね。

他人の気持ちは他人のものなので、自分側をみて物事考えないといけないなって再認識しました。
最近は外側ばかり見てしまっていた気がします。

例えばポケモンで表すと、
「相談できる人いないからやらない」ではなくて、
「やってるうちに相談できる環境ができていく」って感じかなと。
もちろんうまくいくかどうかはわからんけど、前者は動いてないから一生うまくいかないじゃないですか。
後者ならもしかしたら本当にできるかもしれない。

アドラー心理学に興味もって本読んだときに
「自分にどうにもできない領域のことで悩むな」
的なこと書かれてて印象に残っています。
他人がどうするかどう思うかの決定権は自分にはないので、
変えるなら自分でできることだけに集中しろ。的な。
これはスンと腑に落ちてきた記憶。

とりあえず、その時々の環境を自分なりに楽しめば自然と最適な環境になってるんじゃね?となりました。
だから結局は色々気にせず好きなように過ごすのが1番だなと。
にょすいて友だちいて家族もいて、望みすぎだろボケ。ありがたみを思い出せボケ。
肩の荷がすっとおりました。

またヘラヘラと生きましょう。



ほいじゃ